バイリンガル、マルチリンガルであることの代償

バイリンガル、マルチリンガルであることの代償

名古屋市緑区でベビーとママのための親子英語サロン「おやこえいごくらぶ」を運営しているせつこです。

今日は、シンガポール人のお友達で、日本で英語を教えているパトリックの授業におじゃましました。

シンガポールは、ご存知、多言語、多文化国家。

彼は、中国人で、生まれた時から、中国語の方言4つくらいを使いながら育ったそう。お母さんの方言、お父さんの方言、近所で話される方言、、、

中国語の方言は、ほぼ、別の言語くらいの差があるらしいです。

例えば、香港で話されている広東語と、一般的に中国語として勉強されている北京語とでは、お互いにコミュニケーションできなくらい違うそう。

彼は、子どもの時はそうやって色々な方言を話して育ち、小学校が始まると、学校は、英語。中国語の時間以外は全部英語。

シンガポールでは、教育言語は英語だからね。

しかも、中国語の時間に習うのは北京語だから、小学校からいきなり二つの外国語をやり始めたようなもん。

ま、もちろん、そうは言ってもシンガポールでは回りに英語が溢れているから、耳は慣れていたのだとは思うけど。

それで、今では一番得意なのは英語>北京語>方言、らしいです。

ちなみに、日本語も日常会話は大丈夫です。

英語圏に留学もしているし、高度な英語ユーザーであることは間違いない。

だけど、ネイティブというわけではない。

そして、漢字も良く知っているし、北京語も全く不自由しているわけではない、だけど、ネイティブではない。

彼が「母語」と呼べるのは一体何語なんでしょうね?

シンガポールには、こういう人が結構います。

彼は、別に「複数言語を学んで世界を広げよう」なんて考えてそうしたわけではない。

そうならざるを得なかったわけです。

多言語、多文化社会に生きる、ということはそういうこと。

なんだか、「母語が大事じゃ~!」なんて言ってられる社会はメチャメチャ平和なんですね。

一言語だけで生きていける世界は幸せで安定していると思う。

だけど、いつまでもそのままでいられるのか?

また、それにあぐらをかいていていいのか?

多言語、多文化社会で生きていく人達は、失ったものも大きいだろう。

だけど、彼らはたくましい。

言語の違いなんてものともせず生きていく。

これからの国際社会を生きて行くには、多少なりとも彼らのようなたくましさが必要だと思います。

せめて、英語くらいは、身につけたいものです。

授業の後、自宅に招待してくれました。

奥様が、シンガポールごはん「チキンライス」を作って下さった。

美味しかったです!

またシンガポールに行きたくなってきた~!

名古屋市緑区、親子英会話教室せつこでした!

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